オープンコースウェアについて。
MITやらカーンアカデミーやらの取り組みが先例となって、ここ1年くらいの間で日本の大学でも講義がどんどんネットで公開されるようになってきた。
言葉としては、Massive open online course:MOOC(ムーク)が定着するのだろうか。Courseraとかを見て居ると、面白そうなものも多くて英語にいまいち自信が持てないけれど、ちょっと受講してみようかという気になる。
なんにせよ、知にこれまでよりもずっとアクセスしやすくなったという点では、この流れは大いに歓迎すべきことだと思う。
こういう情報革命が講義の価値やら大学の意義やらを良い意味でどんどん変えていってほしい。

ただ、一方で個人的に困っていることもある。
僕自身、職業柄、大学で講義することが結構あるのだけれど、講義の録画とか、サテライトで配信されるとかっていう状況に、僕自身がいつまで経っても慣れることができないのだ。
正直、画面の向こうの相手が見えない、息遣いが聞こえないという状況では、話し手としては、とってもやりにくいのだ。まず、話題の選び方や表現の仕方も、かなり安全な感じになる。そして、多くの場合、画面の向こう側の学生のことは講義中のほとんどの時間、その存在を忘れてしまっている。常々、対話型のライブ感のある講義をしたいと考えているので、どうも調子が狂うのだ。

「相手が見えにくい」とか「質疑応答がやりにくい」とか、言い訳がましいことをいうと、「HD画質で表示できます」とか、「対話性であればこういう機能で実装できます」とか言う人もいる。でも、残念ながらそういう技術論ではなくて、もっと根本的なところで引っかかってしまっているのだ。

それは、もしかしたら、僕の講義のほとんどが教科書に沿った講義をしていないせいかもしれない。ビジネスやらキャリアやらについて話す講義が多いので、情報鮮度が命の講義ばかりなのだ(これは、完全に言い訳だな)。その日の午前感じたことを、午後の講義に活かすことだってある。リバネスの専務の吉田丈治が言っている通り、「武器は走りながら拾う」、というスタンスで、リアリティのある講義・講演を目指している。

ところで、趣味で放送大学をよく見るので、あの先生方の特徴的なしゃべり方も、もしかしたら僕の困ったなぁ、という感じと似ているのかもしれないなぁ、と勝手にシンパシーを感じている。
目の前にテレビカメラがあって、録画されて、何年か使いまわされると思うと、後で編集できますよといわれたって、調子は狂うだろう。それは少なくとも通常の大学講義とは別物だ。

そんなことを気にしている時点で、すでに時代遅れといわれてしまいそうだけど、ちょっとずつでも新しいスタイルの講義にも慣れていこうとしている。得体のしれない何かに気を使って、講義を安全でつまらないものにしてはいけないのだ。

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後日、追記。
オープンコースウェアとMOOCsは、受講者の管理とかいろいろで違うようです。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/004/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2013/08/26/1338978_05.pdf
これの46ページを見ると、その違いが書かれている。